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関の刃物の繁栄と発展

関、鍛、匠、伝

岐阜県関市の刃物産業の繁栄と発展は、あるひとりの刀匠「元重」が九州からこの関の地へ移り住み、
刀鍛冶を始めたことが最初とされています。
南北朝時代から室町時代にかけ、日本各地方で刀鍛冶が盛んであった頃に成立したと言われる名刀鍛冶五ヵ伝。
その一つがこの岐阜県関市の刀鍛冶「美濃関伝」であります。

「相州伝(神奈川県)・美濃関伝(岐阜県)・山城伝(京都)・大和伝(奈良県)・備前伝(岡山県)」
この関の地に豊富にある良質の焼刃土と清流長良川の水は、刀鍛冶にとって最も理想的な風土条件を兼ね備えた地であるとされ、その後、全国各地から多くの刀匠がその噂を聞き、この関の地に集まり刀鍛冶を始めたとも言われています。

室町時代の後期になると、増加した鍛冶職人の統率などを目的とするため鍛冶座(鍛冶職人の自治組織)が結成されました。
その鍛冶座の本所とされたのは、鎌倉時代末期に鍛冶職人の守護神として大和国(奈良県)にある春日大社から分神を勧請して建立された春日神社(関市春日町)でした。

応仁の乱(1467)の後、戦国時代を迎え実用的な刀剣に対する重要が飛躍的に高まります。
関鍛冶は最盛期を迎え、この地でも刀匠が300人近い人数になったと言われています。
関の刀剣は「折れず・曲がらず・よく切れる」と称され、切れ味の求められる実戦用の刀が多く作られました。
この時代の代表的な刀匠は「兼元」・「兼定」・「兼房」らであり、彼らは現代に多くの名刀を残しています。
なかでも「関の孫六」として今もその名を知られている孫六兼元は二代目兼元です。
大永から享禄(1521~1531)のころを中心に活躍し、彼の作る刀は「三本杉」と呼ばれる刃紋を持ち独特の「四方詰め」と呼ばれる造り込みで、切れ味の抜な刀であり最上大業物(この世で最も良く切れる刀)と呼ばれていました。
戦国大名が各領土を支配するこの時代には、有名な刀匠達はその腕を買われ大名のお抱え鍛冶とされ大いに活躍しました。

江戸時代以降、太平の世の到来と共に刀の需要も減少します。関においても刀の注文は少なくなり、刀鍛冶は小刀や鎌など家庭用刃物・農業用刃物の生産へ転向を余儀なくされました。特に明治時代に布告された「廃刀令」は関の刀剣産業に大きな打撃を与えるもので、刀剣の生産は衰退の一途をたどりました。
しかし、二度の世界大戦で軍需用産業として刀剣産業に再び活気をもたらします。それは、軍刀の国内生産を一手に担う一大生産地として再び栄えるのです。
しかし、終戦と同時に刀剣産業は禁止され、関の刃物は平和産業としての道を歩み始めました。
終戦後、平和産業として刀鍛冶の伝統技法を取り入れた家庭用刃物の生産に転向した関の刃物業界は、工場など積極的な設備投資や技術革新が進められ、ステンレス製品を主力とするあらゆる刃物の大量生産が行われるようになりました。

関の刃物は、素晴らしい品質と安価な価格が国内はもとより海外でも高く評価されるようになり、昭和30年代から40年代にかけ貿易を中心に大きく発展しました。
そして日本一の刃物生産額を誇る「刃物のまち」として現在もその名を世界に知らしています。
また、約800有余年の歴史を持つ「関伝古式日本刀鍛錬」は、現在も関市において17名の刀匠達によってその卓越した技術と伝統を脈々と今に受け継ぎ守り続けています。

そして、当社は創業以来、その刀都関に拠点を置く伝統と歴史のある【元祖・関刃物の直売】の老舗の刃物屋です。
卓越した伝統技法を今に受け継ぎ製造された最高級の切れ味を追求した自社ブランド製品『関吉秀作』の刃物を中心に特産刃物を直売するお店です。

刃物屋 三秀